ガスの元栓と私の元栓
引っ越し先でガスを使えるようにするため、ガス会社の人に立ち合いをお願いしました。
前日の電話で「10時30分から11時の間に伺います」と言われておりましたので、10時25分くらいに引っ越し先に行き、ガス会社の人を待っていました(まだ旧住所で寝泊まりしているからです)。
10時30分になりました。ガス会社の人はまだ来ません。待っているうちに、トイレに行きたくなりました。
しかし、トイレットペーパーを持って来るのを忘れるという痛恨のミスを犯したせいで、水こそ流れるものの、新居のトイレを使うことはできません。
使えるトイレといえば、近くのコンビニしかない状況でした。
「まぁもう少しで来るだろうし、作業自体も10分程度で終わるだろうから、待とうか。」
その判断が後の悲劇を招くことになるのです。
10時35分になりました。ガス会社の人はまだ来ません。その間にトイレ我慢信号は青から黄色点滅に変わっていました。
「ここで手を打たなければ・・・負ける」
そう判断した私は、コンビニのトイレ行きを決めました。階段を駆け下りて駐車場にたどり着いたちょうどそのとき、全身黄色にカラーリングされたガス会社の軽トラがやってきました。
「どう考えも私の方が黄色信号なんですけど」などと訳の分からないことを頭の中でつぶやきながら、ガス会社の人に挨拶して部屋まで案内しました。
ガス会社の人は伊勢谷友介にも似たイケメンのお兄さんでした。
台所に案内すると、伊勢谷は慣れた手つきで作業を進めていきます。
一方、トイレに行くタイミングを逸した私の我慢信号は黄色点滅から黄色になっていました。
「まずい、五分五分になった、非常にまずい。」と心の中でつぶやきます。着々と戦況は悪化していきました。
「ガスの元栓開けてきますねー!」と伊勢谷が言います。
伊勢谷、開けてこい。可及的に速やかに開けてこい。でないと私の元栓が開いてしまう。
蛇口をひねって伊勢谷は言います。「お湯が出るか確認するので水出しますねー!」
伊勢谷、出せばよい。好きなだけ出せばよい。でないと私が尻から出すことになってしまう。
無事お湯が出ることも確認でき、立ち会いは終了かと思いましたが、伊勢谷はまだ何やら作業を続けています。
我慢信号が黄色から赤点滅に変わりました。劣勢です。後半42分、0対3のビハインドくらいの劣勢です。
その時突然ガス検知器が警告音を発しながら、赤いランプを点滅させはじめました。
伊勢谷が何かしら設定を間違えていたようです。伊勢谷は作業の手を止め、検知器をいじり始めました。
「伊勢谷ぁぁ、検知機も警告音を出しているかもしれないが、私の尻でも警告音がなっているのだぞ、そして赤く点滅しているのは検知器のランプではなく、まさしく私の尻だぞ伊勢谷ぁぁぁ」
もはや冷静な思考能力を失った私は脳内で喚き散らします。
その時伊勢谷が何やら書類を差し出してきました。
「ご本人様以外の緊急連絡先を記入していただけますか?」と伊勢谷。
伊勢谷よ、君はまさに今、そのご本人である私が(正確には私のお尻が)「緊急事態」を迎えているのを心得たうえで「緊急連絡先」などと口走るのかね。皮肉が効いてていいじゃないか。
尻に全意識を集中させて書類を書いている間も、伊勢谷は持ち込んだ機械で何やら数値を図っていました。
ガスの栓を開けようとする伊勢谷、尻の栓を締めようとする私。
伊勢谷は気体と闘い、私は個体と闘う。
出てこい気体、出てくるな個体。
美しい二項対立のうちに進むガスの開栓作業と遠のく意識。
それは無限にも思える時間であり、すべてがスローモーションに見えました。あれがいわゆる「ゾーン」というやつだったのでしょう。
ゾーンに入った状態でその他2、3の書類にサインをしたところで立ち合いは無事終了し、伊勢谷は帰っていきました。
私はといえば近所のサークルKにヨチヨチ歩きでなんとかたどり着き、事無きを得ました。ありがとうサークルK。私はこれからコンビニはサークルKしか使わないと誓います。
今回の闘いから学んだのは、「ガスの開栓作業は大体20分くらいはかかる」ということと「黄色点滅はセーフではない」ということと「赤点滅だからといって必ずしもアウトではない」ということでした。また「ゾーン状態で書類が書ける」事実を発見しました。
実り多きこの良き日に感謝します。
キツかった。