That's it.

それでおしまい.

エビ友達

ある事柄で繋がっている関係を〇〇友達とか〇〇仲間とか言うことがある。

お酒で繋がっていれば飲み友達、スノボーならばスノボー仲間というように。

ならば〇〇に入る言葉が「エビ」だった場合、その関係は「エビ」によって繋ぎ止められていることになる。エビ友達。そんな関係がこの世に存在するのだろうか。

半年ほど前に家族でコンサートを聞きに行った際、昼前に会場付近に到着したこともあってどこかでお昼ご飯を食べることになった。

大体こういう時は父の希望でス〇ローになるのだけれども、その時も通常通りスシ〇ーで昼食をとることになった。

昼時で込み合っていたので家族3人でカウンター席に座ることになった。レーンの川上から父、母、私の順で着席した。

私の左隣には30代後半と思われる眼鏡をかけた彦摩呂という出で立ちの男性が座っていた。

「ほどほどにしとかないとコンサート中に寝まっせ」という母の忠告を右から左に聞き流して、父と私は真昼間からビールをガンガン飲み、唐揚げとごぼうの天ぷらと枝豆を貪っていた。

そんな意識の低いアル中(意識の高いアル中はいるのだろうか)二人の前をオーダーされたお寿司が流れていった。

同じテーブルにエビが5皿。大名行列ならぬエビ行列。思わず道端によけて深く頭を下げそうになった。

家族連れが注文したのかなーと思っていたら、すべて彦摩呂が注文したものだった。

着席した時から薄々気づいてはいたのだけれど、どうやら隣の彦摩呂はエビしか食べていない様子なのだ。既に15枚ほどの皿が積み重なっている。

エビ、エビ、エビ、ガリ、エビ、ガリ、エビ、エビという美しい旋律を奏でながらバリバリとエビを食していた。

 

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そして、自らがオーダーするエビにとどまらず、レーンに流れてきたエビはすべて彦摩呂が平らげていた。

彦摩呂の川下には7人くらいお客さんが座っていたが、彼らにエビが届くことはなかった。もはや関所である。

どういうことだ。そんなにこの店のエビは美味しいのか。全国チェーンの〇シローの中でもエビが極度に美味しいことで有名な店なのかここは。

別に特段エビが好きでもないが、真相を解明すべく次に回ってきたエビを食べてみることにした。

しばらくすると、2皿のエビがレーンを流れてきた。

ものすごく美味しかった場合のことを考えて、2皿ともとった。

身体の左側に視線を感じた。

左を振り向くと眼をまん丸にした彦摩呂と目が合った。

「えっ、自分それとるの?」「今までいっさいエビに興味示してなかったやん?」そんな言葉が聞こえてくるかのようだった。

一瞬の沈黙(そもそも喋ってないけど)。時間が流れを止める。彦摩呂の眼に優しさが満ち溢れた。

「エビ、うまいよな。君もこの奥深い味がわかるんだろう?」「僕らの間に言葉はいらないよな、ブラザー?」そんな情熱的なワードが聞こえてくるかのようだった。

そう、ここにエビを介してつながる男同士の友情、エビ友達が誕生・・・

 

するわけない。

別に普通のエビだったわ。そんなに食べたら痛風になるわ。

というわけで、エビ友達は存在しない。

今週も頑張りましょう。

プリーズ・セレクト・マイ・ファッション

ワタクシに現実世界で複数回お会いになった方は、こう思うはずだ。

「あいつ、いつも同じ服着てない?」

いい質問ですね。正解だ。実際4種類くらいしか服を持っていない。

それはトップスの話で、ボトムスに至っては2種類しかない。

しかも最近ボトムスのうち1つは日頃のヘビーユーズが災いして、尻に穴が空いてしまい、再起不能になった。だから今ボトムスは1本しかない。

「買えばいいじゃないの」

素晴らしいご意見だ。僕もできることならそうしたい。でもできない。

服を買いに行くのが非常に恐ろしいからだ。

まず、上記のようなアイテム数しか保持していないワタクシには「服を買いに行く服がない」。どうだ、致命的だろう。

お店に入った瞬間に、ニット帽andエスニック柄のカーディガンandひざ丈の短パンandデッキシューズみたいなオシャレ界のアッラーのような店員さんに睨まれるに違いない。

この時点でかなり敷居が高い。

この守備ライン突破できる攻撃力はワタクシには備わっていない。

通常はここで逃げ帰る。三十六計逃げるに如かず。フハハ。

しかし、気配を消して店員さんの目線をかいくぐり、幸いにも入店できることがたまにある。

圧倒的オシャレオーラに負けそうになりながらも、陳列された商品を見ている分には何の問題もない。

しかしすぐさま「あの事態」が訪れる。

「何かお探しですか?」という店員さんのアプローチだ。僕は勝手に「寄せ」と呼んでいる。

いつも思うんですけど、何故この「寄せ」は服屋に限らずあらゆる販売店において主流になっているのでしょうか。

「何かお探しですか?」

探してます。確実に。入店している以上探しているでしょう、何かしら。

「何かお探しですか?」「いや~牛丼でも食べようかと思って」みたいな返しをする奴がいるのだろうか。かなりアブナイな奴だぞそいつは。

話が逸れた。

店員さんの「寄せ」に対しては2種類の作戦が考えられる。

まず、「これこれこういうものを探しています」と申し出て、素直に店員さんの力を借りる「従順作戦」。

次に「いや、見てるだけです」と「寄せ」を退け自分で好きなもの選ぶという「自主独立作戦」。

「自主独立作戦」を選べるのはおしゃれ上級者だけだ。

というわけで僕に残された選択は「従順作戦」だけになる。

ところが、この作戦には大きな問題がある。

ニット帽andエスニック柄のカーディガンandひざ丈の短パンandデッキシューズみたいなオシャレ界のアッラーのような店員さん(以後アッラーさん)と1on1になってしまうのだ。

そのプレッシャーたるや計り知れない。

凡人からファッションセンスを引き算した凡人vs神。

どうやって対等な会話をすればいいというのか。明確なアンサーがあるなら教えてほしい。

でもアッラーさんは懇切丁寧に「今年の流行りは~」とか「お客様の体型なら~」とか言いながら実に様々な提案をしてくれる。

 神を前にしてそのご威光に仰け反っているワタクシは言われるがままに勧められたもの試着することになる。

ここで次の問題が発生する。あの「試着室」というterribleな空間の存在だ。

試着室で着るじゃないですか、持ち込んだ服を。そうすると外からアッラーが「着た感じどうですか~?」みたいなクエスチョンを投げてよこすじゃないですか。

分からない!そのセンスがあるなら最初から自分で選ぶ。試着室にしつらえられた鏡を見る限り、よくて52点だぞこれは。

百歩譲ってサイズ感は分かる。

でも果たしてそのデザイン、審美的な面がワタクシにジャストフィットしているかどうかなど、分かるわけがあるまい。逃げ場のない密室。アーメン。

返答に窮して「まあまあ」ですねという受け取り方によっては玄人感がある言葉を返して、カーテンを開ける。そこにはアッラーが立っている。

アッラーが「いいっすねー。サイズも丁度いいし。」的なポジティブ・フィードバックをくれたら諸手を上げて狂喜乱舞からの即購入win-winルートで、服を買うというアルティメット・アドヴェンチャーは幕を閉じる。めでたしめでたし。

しかし逆の場合、つまりアッラーが「あっ、いいですねー。でもちょっと他のパターンも試してみましょうかー」という、ふんわりとしたネガティブ・フィードバックがあった場合、それは地獄だ。The hell。

「僕にオシャレな服が似合うはずないのだ」「そもそもお店に入ること自体許されざる行為なのだ」と陰鬱憂鬱自己卑下ヒューマンがそこに現前する。

もはや服を選べるような精神状態ではないヒューマンは「もう少し考えてみます」というこれまた玄人感あふれる言葉でその場を濁して、逃げるように店を出るのだ。

そのような経験を幾度となく繰り返して気付いたことがある。

服を選ぶときに必要なのは地球上にただ一人でいいから「似合っている」と言ってくれる人の存在だ。

そして、それと同じくらい「それは似合っていない」とハッキリ言ってくれる人の存在だ。

ここまで書いて僕の脳裏に浮かんだ理想の服屋の店員さんはマツコ・デラックスだった。

なんとなく、似合っている場合には「まぁいいんじゃないの」とアンニュイな感じで言ってくれそうだ。

似合ってない場合には「アンタ、それは止めた方がいいわよ」とキッパリ言ってくれそうだ。

誰か、僕の服を選んでくれませんでしょうか。辛口で正直な人、お待ちしております。

プライベート・エレベーター

パブリック(公共)な場で思い切りプライベート(私的)に振る舞うことがもたらす快感はとても大きい。

 

その快感に囚われた愚かな男の悲劇について書く。

 

エレベーターはパブリック(公共)な面とプライベート(私的)な面が共存している不思議な乗り物だ。

 

エレベーターは基本的には不特定多数の人を運ぶパブリックな乗り物だ。

 

しかし、1人で乗った時、そこはいきなりプライベートな空間に変貌する。

 

バスや電車とは違い運転手や車掌がいない。人が乗ってくるにしても、音がなるからすぐに分かる。

 

つまり、1人でエレベーターに乗っている場合、「チーン」というエレベーターが止まる音が鳴らない限り、目的の階に至るまでの間、その空間は完全なプライベート・スペースになる。

 

そう、「チーン」という音を聞き逃さない限りにおいては。

 

学生の頃、研究室に携帯を忘れたことに気付いたので、取りに行った。23時ごろだった。

 

研究室は8階にあったので、エレベーターに乗った。

 

こんな時間に僕以外の人がいるはずがない。

 

高を括った僕は8階まで過ごすエレベーター内の時間を、完全にプライベートなものと見なした。

 

平時はパブリックな場所で、人目を気にすることなく思いきり私的に振る舞うこと。これがもたらす快感は大きい。

 

昼間は車がバンバン通る道に、夜中寝転がった時に感じる全能感。

 

普段は人でごった返している公園に夜中一人で佇むときに感じる高揚感。

 

その類である。

 

忘れ物を取りに行った時に乗ったエレベーターの中で、僕はそのようなプライベート快感に浸っていた。

 

その快感にそそのかされた僕はエレベーターの中で、敬愛するイチローがバッターボックスに入るまでの動作を完全再現することにした。

 

ネクストバッターズサークルでの股割、ゴルファーのような独特の素振り、バッターボックス手前での屈伸、地面をならす動作。

 

完璧な流れ。完全な再現。そして、締めの動作に入った。

 

イチローの代名詞、バットを掲げるあのポーズである。

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エレベーターの扉に向かって、イチローになりきっている僕は、この上なく凛々しい表情でバットを掲げた。

 

エレベーターの扉が開いた。他の研究室に所属しているであろう女性がそこに立っていた。

 

楳図かずおの漫画に出てくる女性みたいな構図で悲鳴を上げて、女性は走り去っていった。

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そりゃあそうなりますよね。エレベーターの扉が開いた時、そこイチローの物まねしてる、ドヤ顔の奴がいたら。しかも深夜に。

 

僕はこう書いた。

 

「チーン」という音を聞き逃さない限りにおいてエレベーターはプライベートな空間になる。

 

イチローモノマネwith楳図かずお事件が起こった時、僕はウォークマンでB'zの「ultra soul」を大音量で聞いていた。

 

「チーン」なんて聞こえなかったのである。

 

立ち尽くす愚かな男。その間も「ultra soul」は流れ続けた。

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「夢じゃない、あれもこれも」

 

その通り。夢じゃない。現実でした。