That's it.

それでおしまい.

カツオ人間に関するいくつかの疑問

カツオ人間、というゆるキャラをご存じでしょうか。

 

高知県を代表する名前そのままの愛くるしさとほのかな生臭さを感じさせるキャラクターです。

 

今回はそのカツオ人間についていくつかの問題を提起してみたいと思います。

 

1.ぶつ切り問題

最初の問題は、カツオ人間のその強烈なビジュアルに関するものです。カツオ人間のバックショットを見れば即座に分かりますが、カツオ人間の頭部には胴体を真っ二つに切断されたカツオが載っています。

全くゆるくない事態であることは確かです。骨と血合いが丸見えという極めてバイオレンスな見た目は完全にスプラッター映画のそれだといえます。

「ねぇねぇ、カツオ人間のあの赤いところはなに?」と我が子に聞かれたときに、世の親御さんは一体どう答えればよいのでしょうか?

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2.生物学的・分類学的な名前問題

次の問題は、カツオ人間のネーミングに関するものです。普通、キャラクターに名前を付ける場合は、そのキャラクター固有の名前を付けます。

 

例えば、愛媛県ゆるキャラには「みきゃん」という名前がついていますし、熊本を代表するゆるキャラである若干目がイッてるあの熊には「くまもん」という名前がついています。

 

つまり、ゆるキャラには我々人間と同じように「個体識別名」がついているのが普通なのです。だから、「秋山」という名字を持つみきゃんや「北里」という名前のくまもんというものは存在しないのです。

 

一方、「カツオ人間」というネーミングは「種」を区別する呼称です。「人間」とか「犬」とか「魚」とかいう生物学的な分類を示す呼び方です。言うなれば「カテゴリ名」です。

 

ということは、「カツオ人間」にカテゴライズされる個体が複数存在する可能性が生じてきます。

 

つまり、個体識別できる名前を持つ「カツオ人間」がある程度の数で存在すると考えることができます。「坂本」という名字を持つカツオ人間や「龍馬」という名前のカツオ人間が現に存在しているかもしれないのです。

 

冷静に考えると結構恐ろしい事実です。カツオの輪切りを頭部に乗せた個体がそこかしこに存在している日常というのは、もはや日常とは呼べないでしょう。

 

3.ゼナ問題

栄養ドリンク「ゼヨ」という奇怪な飲み物があります。何やら一口飲んだだけで脱藩し、勝海舟に弟子入りし、亀山社中を立ち上げ、薩長の同盟に一役買い、最後には近江屋で暗殺されそうな雰囲気がする飲み物ですね。

 

この「ゼヨ」、明らかに大正製薬の「ゼナ」を意識しています。というか一文字変えただけです。パ〇リと言われても仕方がないのではないでしょうか。

 

なかなかきわどい商品と言えます。そして、その「ゼヨ」のパッケージの中心にドカッと腰を据えているのが何を隠そうカツオ人間なのです。

 

一県を代表するキャラクターがきな臭い商売行為に加担している事実を見逃すことはできません。

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4.それでもよい、カツオ人間最高

ここまでカツオ人間について多角的に検討してきましたが、実はそんなものはどうでもよいのです。私はこのゆるキャラが大好きなのです。

 

素晴らしいと思いませんか?

 

世はゆるキャラ戦国時代。世のゆるキャラが民衆に向かって可愛らしさ、愛嬌、丸っこさ、親しみやすさなどを強烈にアピールする中、カツオのぶつ切りに胴体を引っ付け、手足を生やしただけという潔さ。愛嬌のかけらもありません。

 

それだけに飽き足らず、血合いまで見せる剛胆さ。可愛らしさなどどこ吹く風です。

 

加えて、パ〇リ臭漂うきわどい商品にも正面からの写真を堂々と乗せる気前の良さ。ゴーイング・マイウェイですね(正面から見るとその魚類っぽさがいかんなく発揮されますね)。

 

 私にはこのような出鱈目なカツオ人間の振る舞いこそが「ゆるい」という概念とマッチしていると思うのです。

 

可愛らしい「ゆるキャラ」は全国にたくさんいます(当然ですけど)。

 

でも、そのゆるキャラたちは「ゆるキャラは可愛らしくあらねばならない」というルールでガチガチに自分たちを縛っている感じがします。

 

その有様は果たして「ゆるい」と言えるのでしょうか?

 

恐らく、カツオ人間はそのアイデアが出た時点で既に「ゆるかった」のではないかと思います。

 

ウィキペディアによると「2007年に株式会社 山西金陵堂が、高知を代表する魚「鰹」をもとにキャラクター化。」したらしいとのこと。

 

詳しい内情は存じ上げません。しかし、何はともあれ、強烈なビジュアルを持つカツオ人間を「ゆるキャラ」として採択してしまう圧倒的な「思考のゆるさ」がそこに垣間見えます。

 

カツオ人間は、緊迫したミーティングの末、満を持して「これでいこう!」と気張った感じではなく、酒でも飲みながら「まぁ、これでええんやないの?」というフニャフニャした流れの中で生まれてきたのではないかと想像します(山西金陵堂様、違っていたらすみません)。

 

「ゆるさ」はキャラクターのビジュアルから感じ取るものではありません。そのキャラクターを生み出した「思考のゆるさ」を感じ取ったときに、人は「ゆるい」と感じるのです。

 

だから、カツオ人間は「生粋のゆるキャラ」なのです。

 

以上ゼヨ。