真面目の入れ子構造
真面目な人はその性格故に対人関係からストレスを感じることが多かったり、心の病を発症しやすいといいます。
そのような人たちに対しては「もっと肩の力を抜いて」とか「物事を適当にやることを覚えて」とかいうアドバイスが送られることが多いようです。
つまり「非真面目」的なやり方を身に着けてみようという提案がなされます。
しかし、このアドバイスは生真面目な人たちにとって効果的と言えるのでしょうか。
何故そう思うのかと言うと、生真面目な人はその「真面目でない」生き方を推奨するアドバイスに対しても、やはり「真面目」に取り組もうとするのではないか、と思うからです。
例えば、「もっと肩の力を抜いてみよう」と言われたら、必死で肩の力を抜こうと努力してしまい、「適当にやることも大事だよ」と言われたら、適当に取り組むことに全力を注いでしまう。そういうことが起こってしまう可能性はないのでしょうか。
問題は、結局のところ「物事に取組む態度そのもの」や「思考の仕方そのもの」は変わっていないという点にあります。「真面目でないこと」の実現を「真面目」に実行してしまうのです。
なので、普段と異なる行動をした場合にも、同じように真面目に取り組んでしまうので、失調をもたらした「真面目さ」という原因は取り除かれていないことになります。
ならば「やり方そのもの」、「考え方そのもの」を再構築すればよいと考えられますが、それはそれで、その「再構築の仕方」はやはり本人固有のものになるでしょう。生来真面目な人は真面目にやり方を再構築しようとするのです。そしてそのいたちごっこは何も真面目な性格に限った話ではありません。
「変えようと思う枠組み」を「変えるやり方」を変えることはできない(早口言葉みたいですね)。人はこの入れ子構造の中に閉じ込められています。
性格が変えられるか、変えられないかは分かりません。
ですが、変化を目指すにせよ、ありのままを受け入れるにせよ、私たちが縛られている「自分らしさ」の構造への理解が必要なのは間違いありません。