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That's it.

それでおしまい.

利他性と拘り

相手のためを思うのならば、相手のパフォーマンスが上がるように行動することが必要だ。

 

「あの人のためを思ってやっているのにわかってくれない」という歯がゆさを感じたことがあると思う(なかったらごめんなさい)。

 

なぜそのようなことが起こるのだろうか。

 

それは「自分の行動によって相手のパフォーマンスが上がるかどうか」という視点が抜け落ちているからである。

 

言い換えると、「手段に拘って目的を忘れている」からとも言える。

 

女性から相談事をもちかけられたときの男性の対応はその一例だと思う。

 

巷でよく耳にする言葉に「女性は共感を求め、男性は解決を求める」というものがある。

 

何かしらの問題を抱えて不調に陥っている状態から回復するに際して、女性には共感が有効であり、男性には解決が有効であるということらしい。

 

それが本当なら(恐らく本当なのだろう)、男性は説教やらアドバイスやらを繰り出すのではなく、適切に(テキトーにじゃないですよ)相槌を打ちながら女性の話を聴くことに専念すればよい。

 

目的は「女性を不調から回復させること」なのだから「傾聴と共感」はその手段である。

 

にもかかわらず、いきおい男性はあれやこれやと助言してしまい最終的に女性から「あなたは何も分かってない(怒)」と言われ、途方に暮れることになる。

 

何故そのような事態に陥るかと言えば、アドバイスという手段が女性の不調からの脱出という目的に合致していないからである。

 

「アドバイス」という手段が女性に対して有効でないならば、それに拘る理由は何もない。

 

しかしこの時、男性は自分の経験上有効であった具体的解決策の提示という「やり方」に囚われてしまっている。

 

利他的に行動したつもりが肝心の他者のためになっていないとき、そこには「自分のやり方」への拘りが潜んでいる。

 

「自分のやり方」への拘りが本来の目的を見失わせるのである。

 

とは言いながらも、相手の出方に対してあれやこれやと自分のやり方を変えればよいのか、そのような態度は一貫性に欠けるのではないかという疑問も生まれてくる。

 

しかし、その疑問は「思考の次数を一つ繰り上げる」ことで解決できる。

 

つまり「拘り」の対象を一段階上げてしまうのである。それは「手段」に拘るのではなく、「目的」に拘るということである。

 

先の例でいえば、男性は「アドバイス」という手段に拘るのではなく、「女性の復調を促す」という目的に拘るということである。

 

そのような心構えをしていれば、手段の選択肢が増え、目的に対して柔軟に対応できるようになる。

 

一貫性というのは目的に対する姿勢で評価されるべきものであって、手段において評価されるものではない。それは利他的な姿勢においても変わらない。

 

相手の心身の活性化という一貫した目的のために、手段に拘泥せずに行動すること。

 

利他的な態度とはそういうものなのではないだろうか。

 

「あなたのためを思って行動します。ただし、私のやり方で。」という言明が利他的とは言い難いことがその何よりの証拠である。

 

 

 

というようなことを女性から大いにモテる男友達に話したところ、「あのね、そうやって理屈を振り回すんじゃなくて、本当に相手の気持ちになって話を聞いてあげることが大事なんだよ」と懇々と諭されました。

 

神よ、我を理屈という拘りから解放したまえ。アーメン。

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