お年玉をわたす側になってしまう
お年玉を「もらう側」でなくなって久しい。
それどころか最近はお年玉を「わたす側」としてのデビューが近づきつつあるのを如実に感じる。
父方または母方の実家に帰ると、甥なのか姪なのかはとこなのか何なのかよくわからないけれども「あなたと同じ血が流れていますよ20倍希釈くらいだけどね」というメッセージを送ってくる恐らく親族であると思われる乳飲み子がいたりするからである。
いづれ僕はこの20倍希釈親族的な子供にお年玉をあげることになるのだろう、と考えると時間流れというものを意識せざるを得ない。
僕らは誰しも小さい頃はお年玉の「もらう側」だった。この腐敗した世界に落とされたGod's Childだったのだ。どうか私とワルツを。
先日父方の従妹にお子さんが誕生した。今年の正月に父方の実家に帰省していたらしく、母親が写メール(いまだに)を送ってきた。
今にもこぼれ落ちそうな頬っぺたが愛くるしい1歳にも満たない男の子だった(以下頬っぺた)。
「お年玉だよ~」と僕は頬っぺたにポチ袋を渡す。
「え?これだけ?」何故か頬っぺたは喋る。
「お前はもっと貰ってきただろう?貰ったものは次の人に渡さないといけないよな?もっとちょうだいもっとちょうだいもっともっと」
真っ赤な目でニヤニヤしながら頬っぺたが僕の腕にしがみつく。振り払おうとしてもあり得ない力で腕を掴んでくる。
「じゃあお金の代わりにこの腕をもらおうかな」
という夢を1月3日に見ました。
年末年始に飲みすぎて文字通り1日中布団の中にいた時のことです。
貰ったものは次の人に渡さないといけない。
受け取るだけ受け取って与えない人には罰が下るという教訓をGodが教えてくれたのだと思っています。
いやー怖かった。