「根はいい人」は「枝葉もいい」んじゃないかな問題
「根はいい人」はその「根」、つまり「人格とか性格」が良いだけではなく、「枝葉」、つまり「立ち振る舞いや行動」も優れているはずである。
「あいつは、根はいいやつだ」というフレーズを耳にしたことがあると思う。
このフレーズを分析してみよう。
「根『は』いい」という記述から明らかなように、それは「『根』のみが選択的にいい」ことを意味している。
ということは同時に『根』以外の部分に何らかの問題を抱えている可能性があることを意味している。
大体において「あいつは、根はいいやつだ」と評される場合は広く行動面(口が悪いとか乱暴とか)に問題があることが多い。
つまり「根はいい人」は「行動面に何らかの問題がある」ということになる。
果たしてこの関係性は正しいのだろうか。
根はいい ならば 行動面に問題がある
が真であるとすれば、その対偶も真でなければならない。
その対偶は、
行動面に問題がない ならば 根はよくない
となる。
これはどう考えてもおかしい。
なぜ特段目立った問題行動を起こしていない人の人格が一様に「よくない」ことになるのか。それは普通あり得ないだろう。
では、次の命題はどうか。
根はいい ならば 行動面に問題がない
これが真であれば次も正しいはずだ。
行動面に問題がある ならば 根はよくない
これは正しそうだ。というかあまりにも普通にたどり着く結論だ。
従って、「根はいい人」は「その行動もいい」ということになる。
逆に「行動に問題がある」ならばやっぱり「その人の根にも問題がある」のだ。
だからその振る舞いで周りを辟易させる人の「根」がいいことは多分ない。
って書いてますけども、つまり以下のようなことが言いたいのです。
「根」という言葉から分かる通り、これは多分植物の有様をモチーフにしているのだと思います。
そして、しっかりしたよい根っこを持っている植物の茎や葉や花や果実が全くもってダメダメだなんてことはないと思います。
だから多分「根はいい人」は「立ち振る舞いや行動もいい人」である可能性が高いのではないでしょうか。
「いやいや、あいつのこと皆は悪く言うけど俺にはあいつのよさが分かってる。根はいい奴だよあいつは。」
と言われるかもしれません。それも有りうることだと思います。
でも、勝手に自分がそう思い込んでいるだけなのかもしれませんし、実はそう思い込まないとやってられないくらいその人に辟易しているのかもしれません。
冷静に考えれば「周囲が見ていないあいつのことまで見ている俺」つまり「あいつにゾッコンな俺」によって下された評価が客観性を保っているとは考えにくいですよね。
どう考えても何らかのバイアスがかかっているはずです。
だからやっぱり「根はいい」なら「枝葉もいい」のだと思います。
この文章を友人に見せたら「相変わらず偏屈だなぁお前は」と苦笑いされてしまいました。
うぅ否定できない。僕「根はいい」はずなんだけどなぁ。