That's it.

それでおしまい.

卵@

LINE@というサービスをご存じだろうか。LINE BUSINESS CENTERのHPでは「LINE@とは、ビジネスや情報発信にご活用いただける会社/事業者向けLINEアカウント」と説明されている(https://business.line.me/ja/services/lineat)。

 

 

アカウントと友達になっている顧客、ユーザーにメッセージを一斉に配信できたり、ユーザーと企業が1対1でコミュニケーションできたりするものらしい。企業と顧客がやり取りするためのLINE、と考えればよいだろう。

 

 

LINE@という言葉は聞いたことがあり、実際に何社かの企業アカウントと友達になっていて、時々広告的な情報が送られてきていたので、「情報を一斉送信する機能」があるのだろうな、ということには薄々気づいていた。

 

 

しかし、企業アカウントと1対1でコミュニケーションできる機能まであることは全く知らなかった。

 

 

その機能を知ったのは、先日、お世話になっている銀行の方とお話をしたときである。銀行のLINE@アカウントと友達になると、景品が当たるくじ引きに応募できるというキャンペーン中だったので、早速銀行のアカウントと友達になった。

 

 

金融商品に関する情報がたまに送信されてくるのだろうと思っていた私に担当者が言った。

 

 

「何かメッセージを送ってみてください。そのメッセージに関係した金融商品の情報が返ってきます。」

 

 

そんな機能があったのか、と驚いた私は「マイカーローン」の情報が返ってくることを予測して、「車」という言葉を銀行アカウントに送信した。すると見事にマイカーローンに関する情報を含むメッセージが返ってきた。

 

 

面白かったので「年金」とか「投資信託」とかというワードをバシバシ送って反応が返ってくるかどうか嬉々として試していたら、担当者に「そんなに関心を持ってくれた人は初めてですね(笑)」とあきれたような顔で言われてしまった。企業アカウントとやり取りできる機能の存在は割と一般的な知識らしかった。

 

 

用事が終わり担当者と別れて、帰り道を歩いているときに、近所のスーパーのLINE@アカウントと友達になっていることを思い出した。そのLINE@アカウントからは時々安売り情報(というか見切り品情報)が送信されてきていたのだった。

 

 

そのスーパーは特定の日に卵が普段の20円引きになる。更に卵だけでなく、野菜も値引きされる。私はいつも卵が安い日にそのスーパーに行き、いつも決まったように卵とオクラと山芋を買っていた。

 

 

スーパーの店員さんにバックヤードで「卵野郎」とか「オクラ乞食」とか「山芋人間」とかという仇名をつけられていてもおかしくないレベルで執拗にルーティーンを繰り返していたのである(卵とオクラと山芋が好きなのだから仕方がない)。

 

 

私はそのスーパーのLINE@アカウントと友達になっている。以前の私はスーパーから送信されてくる見切り品情報を一方的に受信するだけのパッシブ卵野郎だった。

 

 

しかし、今の私は、こちらからスーパーにメッセージを送信できることを知ったアクティブ卵野郎である。

 

 

果たしてどのようなメッセージが返ってくるのか?

 

 

卵野郎は満を持して「卵」というワードをスーパーのLINE@アカウントに送信した。

 

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既読、じゃねーよ!!何かしら反応しろよ!!送った自分がバカみたいに見えるだろ(バカだけど)!!そんで翌日何事もなかったかのようにしれっと違う商品の情報送ってくるのやめろよ!!悲しくなるだろ。

 

 

怯えています。スーパーのスタッフたちの間で私の顔と名前が一致することに。

 

 

「卵野郎がLINEでも『卵』って送ってきたwwww」と笑われていないか心底怯えています。

 

 でも、これからも足繁く通わせてもらいます。地域で頑張るスーパー、万歳。

真面目の入れ子構造

真面目な人はその性格故に対人関係からストレスを感じることが多かったり、心の病を発症しやすいといいます。

 

そのような人たちに対しては「もっと肩の力を抜いて」とか「物事を適当にやることを覚えて」とかいうアドバイスが送られることが多いようです。

 

つまり「非真面目」的なやり方を身に着けてみようという提案がなされます。

 

しかし、このアドバイスは生真面目な人たちにとって効果的と言えるのでしょうか。

 

何故そう思うのかと言うと、生真面目な人はその「真面目でない」生き方を推奨するアドバイスに対しても、やはり「真面目」に取り組もうとするのではないか、と思うからです。

 

例えば、「もっと肩の力を抜いてみよう」と言われたら、必死で肩の力を抜こうと努力してしまい、「適当にやることも大事だよ」と言われたら、適当に取り組むことに全力を注いでしまう。そういうことが起こってしまう可能性はないのでしょうか。

 

問題は、結局のところ「物事に取組む態度そのもの」や「思考の仕方そのもの」は変わっていないという点にあります。「真面目でないこと」の実現を「真面目」に実行してしまうのです。

 

なので、普段と異なる行動をした場合にも、同じように真面目に取り組んでしまうので、失調をもたらした「真面目さ」という原因は取り除かれていないことになります。

 

 

ならば「やり方そのもの」、「考え方そのもの」を再構築すればよいと考えられますが、それはそれで、その「再構築の仕方」はやはり本人固有のものになるでしょう。生来真面目な人は真面目にやり方を再構築しようとするのです。そしてそのいたちごっこは何も真面目な性格に限った話ではありません。

 

 

「変えようと思う枠組み」を「変えるやり方」を変えることはできない(早口言葉みたいですね)。人はこの入れ子構造の中に閉じ込められています。

 

性格が変えられるか、変えられないかは分かりません。

 

ですが、変化を目指すにせよ、ありのままを受け入れるにせよ、私たちが縛られている「自分らしさ」の構造への理解が必要なのは間違いありません。

 

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人工知能とお付き合いする前に

AIはいずれ「道具」から「他者」に変わる。そして、ただの他者ではなく「超他者」「異質な他者」として人間の前に現れる。だから、AIと生きていくために、私たちは「共生」について再考しなければない。

 

人工知能やAI(Artificial Intelligenceという言葉が世間をにぎわすようになって久しい。

 

つい先日開催された将棋の電王戦ではポナンザというAIが佐藤天彦名人を破った。

 

AIは日々驚異的なスピードで進化を続けている。実際に、囲碁という限られた局面だけでなく、日々の生活にもAIは活用されつつある。

 

AP通信では既にAIを使った企業決算ニュースの自動生成が行われているし(http://techable.jp/archives/43913)、AIがコールセンターのオペレーターを支援していたりする(http://o2o.abeja.asia/product/post-10262/)。

 

AIはその高性能で人間の生活をより便利で豊かにしてくれる。しかし、一方ではAIの登場が人間の暮らしを脅かすという予測もある。

 

2013年に発表されたTHE FUTURE OF EMPLOYMENT: HOW SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION? (Carl Benedikt Frey and Michael A. Osborne)では、人工知能を含むコンピュータの急速な進化によって、今後10年のうちに「消える」職業について分析されており、人間の仕事がAIに「取って代わられる」可能性を示唆している。どうやらAIの驚異的な進化を手放しで喜べるという状況でもないらしい。

 

上記で紹介したもの以外にもAIの活用事例やAIの弊害について書かれた情報は数多ある。

 

ただ、私が気になるのはそれらの情報の中でのAIの扱いである。

 

数ある情報のどの文脈においてもAIは「その高性能によって人間生活に変化をもたらす『道具』」として語られる。

 

AIはその能力の高さによらず、意思疎通の対象ではなく、道具なのである。

 

しかし、AIをあくまでも「道具」として捉えるには「AIが人間に追いつくのは遠い未来の話である」という前提に立つ必要がある(実際そうなのかもしれないが)。

 

ただ、AIがいつまでも単なる道具としてその存在を留めると考えるのは、進化のスピードを見るに、楽観的すぎる推測に思える。

 

恐らくいずれAIは人間と完全にコミュニケートできる存在として私たちの前に現れる。それはPEPPERと会話ができるというレベルの話ではなく、「人間と寸分違わない」レベルで会話ができるAIが登場するということである。

 

その時AIは「道具」ではなく「他者」として私たちの前に現れる。しかも「人間ではない他者」として。それは「超他者」であり「異質な他者」である。

 

いずれ「異質な他者」と対話していかなければならない。私たちに「理解を超えた他者と共に生きていく」素地があるだろうか。

 

今日の私たちは「人間の他者」とすらうまく折り合えずに暮らしている(国境に壁を作ろうとしている権力者を見れば分かる)。

 

同じ人間でありながら、国と国で戦い、宗教観で諍い、人種の違いでもめて、家族や同僚とギクシャクしている。

 

他者との共生という人類学的課題について、私たちはまだ解決策を見いだせていない。だが、AIという存在について考えるとき、そのトピックの先端性に引っ張られて思わず忘れそうになるが、結局は「他者との共生」という古くから扱われてきた問題にたどり着いてしまう。

 

先に紹介したOsborneの論文では、コンピュータの爆発的な進化が進む中で人間に求められる重要な能力の一つとして「ソーシャル・スキル」が挙げられている。ソーシャル・スキルとは端的に言えば「他者と生きる術」のことである。

 

差し当たり私たちは「人間の他者と共生する」ことについて再考する必要があり、いずれは「異質な他者との共生」について試行錯誤することになるだろう。

 

AIについて考えることは「他者とどう生きていくのか」を考えることなのだと思う。

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ガスの元栓と私の元栓

引っ越し先でガスを使えるようにするため、ガス会社の人に立ち合いをお願いしました。

 

前日の電話で「10時30分から11時の間に伺います」と言われておりましたので、10時25分くらいに引っ越し先に行き、ガス会社の人を待っていました(まだ旧住所で寝泊まりしているからです)。

 

10時30分になりました。ガス会社の人はまだ来ません。待っているうちに、トイレに行きたくなりました。

 

しかし、トイレットペーパーを持って来るのを忘れるという痛恨のミスを犯したせいで、水こそ流れるものの、新居のトイレを使うことはできません。

 

使えるトイレといえば、近くのコンビニしかない状況でした。

 

「まぁもう少しで来るだろうし、作業自体も10分程度で終わるだろうから、待とうか。」

 

その判断が後の悲劇を招くことになるのです。

 

10時35分になりました。ガス会社の人はまだ来ません。その間にトイレ我慢信号は青から黄色点滅に変わっていました。

 

「ここで手を打たなければ・・・負ける」

 

そう判断した私は、コンビニのトイレ行きを決めました。階段を駆け下りて駐車場にたどり着いたちょうどそのとき、全身黄色にカラーリングされたガス会社の軽トラがやってきました。

 

「どう考えも私の方が黄色信号なんですけど」などと訳の分からないことを頭の中でつぶやきながら、ガス会社の人に挨拶して部屋まで案内しました。

 

ガス会社の人は伊勢谷友介にも似たイケメンのお兄さんでした。

 

台所に案内すると、伊勢谷は慣れた手つきで作業を進めていきます。

 

一方、トイレに行くタイミングを逸した私の我慢信号は黄色点滅から黄色になっていました。

 

「まずい、五分五分になった、非常にまずい。」と心の中でつぶやきます。着々と戦況は悪化していきました。

 

「ガスの元栓開けてきますねー!」と伊勢谷が言います。

 

伊勢谷、開けてこい。可及的に速やかに開けてこい。でないと私の元栓が開いてしまう。

 

蛇口をひねって伊勢谷は言います。「お湯が出るか確認するので水出しますねー!」

 

伊勢谷、出せばよい。好きなだけ出せばよい。でないと私が尻から出すことになってしまう。

 

無事お湯が出ることも確認でき、立ち会いは終了かと思いましたが、伊勢谷はまだ何やら作業を続けています。

 

我慢信号が黄色から赤点滅に変わりました。劣勢です。後半42分、0対3のビハインドくらいの劣勢です。

 

その時突然ガス検知器が警告音を発しながら、赤いランプを点滅させはじめました。

伊勢谷が何かしら設定を間違えていたようです。伊勢谷は作業の手を止め、検知器をいじり始めました。

 

「伊勢谷ぁぁ、検知機も警告音を出しているかもしれないが、私の尻でも警告音がなっているのだぞ、そして赤く点滅しているのは検知器のランプではなく、まさしく私の尻だぞ伊勢谷ぁぁぁ」

 

もはや冷静な思考能力を失った私は脳内で喚き散らします。

 

その時伊勢谷が何やら書類を差し出してきました。

 

「ご本人様以外の緊急連絡先を記入していただけますか?」と伊勢谷。

 

伊勢谷よ、君はまさに今、そのご本人である私が(正確には私のお尻が)「緊急事態」を迎えているのを心得たうえで「緊急連絡先」などと口走るのかね。皮肉が効いてていいじゃないか。

 

尻に全意識を集中させて書類を書いている間も、伊勢谷は持ち込んだ機械で何やら数値を図っていました。

 

ガスの栓を開けようとする伊勢谷、尻の栓を締めようとする私。

 

伊勢谷は気体と闘い、私は個体と闘う。

 

出てこい気体、出てくるな個体。

 

美しい二項対立のうちに進むガスの開栓作業と遠のく意識。

 

それは無限にも思える時間であり、すべてがスローモーションに見えました。あれがいわゆる「ゾーン」というやつだったのでしょう。

 

ゾーンに入った状態でその他2、3の書類にサインをしたところで立ち合いは無事終了し、伊勢谷は帰っていきました。

 

私はといえば近所のサークルKにヨチヨチ歩きでなんとかたどり着き、事無きを得ました。ありがとうサークルK。私はこれからコンビニはサークルKしか使わないと誓います。

 

今回の闘いから学んだのは、「ガスの開栓作業は大体20分くらいはかかる」ということと「黄色点滅はセーフではない」ということと「赤点滅だからといって必ずしもアウトではない」ということでした。また「ゾーン状態で書類が書ける」事実を発見しました。

 

実り多きこの良き日に感謝します。

 

キツかった。

 

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もしも麺つゆの名称が「めんつ」だったら

A「いやぁ~昨日は濃いメンツで飲み会だったわ~」

 

B「え、飲んだの?」

 

A「飲み会なんだから飲むだろ?」

 

B「濃いめんつってことは、原液で?」

 

A「ん?まぁ週一でやってるフットサルサークルの飲み会だしなぁ、現役と言えば現役だな。」

 

B「スポーツしてる人はすごいなぁ。でも、原液で飲んだら、さすがにのど乾くでしょ?」

 

A「まぁなー、みんな現役で、結構激しく動いた後だから喉カラッカラだよな」

 

B「そこまでして飲まなくても・・・」

 

A「バカ言うな。汗かいた後の生は想像を絶するうまさだぞ!」

 

B「え、生とかあるの?」

 

A「一杯目は生だろ普通~」

 

B「ペットボトルか瓶しか見たことないよ」

 

A「瓶もあるけどやっぱジョッキだろ。ペットボトルも最近は売ってるのか。」

 

B「ジョッキで!?飲みすぎでしょ!?」

 

A「は?5、6杯は飲むぞ普通に」

 

B「そ、そんなに・・・。薄めたりしないの?」

 

A「薄める?あーカクテル的なこと?ジンジャーエールで割ったりするよ」

 

B「ジンジャーエール!?まぁ確かに薬味でショウガを入れるけど・・・」

 

A「カクテルの薬味って(笑)面白い表現だな」

 

B「でも、生に合うつまみがないんじゃない?」

 

A「生には焼肉一択!」

 

B「焼肉!?タレに使うの?」

 

A「はぁ?焼肉には焼肉のたれだろ?焼肉を生で流し込むのが最高なんだよ」

 

B「絶対腎臓やられるよそれ」

 

A「腎臓というか肝臓かなぁ」

 

B「やっぱりこだわりのメーカーとかあるわけ?」

 

A「あ~、俺はアサヒが好きかな」

 

B「アサヒからも出てたっけ?」

 

A「おう、ドライな感じが最高だわ」

 

B「辛口なんだね」

 

A「文字通りな。一番搾りが好きな奴も多いぞ」

 

B「一番搾り?ちょっと高級な奴かな」

 

A「値段は他と変わらないぞ。そうだ、お前も今度一緒に飲もうよ!同じメンツで!」

 

B「いや、そもそもめんつは飲むものじゃなくて素麺につけるものだし・・・」

 

A「え?」

 

B「え?」

 

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LINEのアイコンを犬にしている人たちへ

LINEのアイコンを犬にしている人たちへ。

 

単刀直入に言うと、メッセージを受信する側は少なくともあなたが想像している3倍以上の感覚で「犬と話している」気分になっています。

 

人語を巧みに操る超知的な犬と会話する気分になっているのです。

 

犬は言います。「変動要因はそのファンドに組み込まれている投資対象の中身による」と。

 

犬は人語だけでなく、金融の知識まで兼ね備えているのです。

 

このウォールストリート勤務の犬はどう考えてもワタクシに著名なペットフードブランド「Pedigree」で知られるMARSの株を買えと勧めてくるに違いありません。

 

犬は言います。「ところで、写真を添付するにはどうしたらいいのですか?」と。

 

とはいえ、犬はLINEの機能を十分には使いこなせていないようなのです。

 

人間と犬を分ける基準は言葉を使えるかどうかではありません。

 

二足歩行が人間であり四足歩行が犬です。そしてLINEで写真を送れるのが人間で送れないのが犬です。

 

イカは言います。「ラインに登録しました。このあとどうすればいいですか?」と。

 

よく読んでください。イカなのです。犬ではなくイカからLINEが届いたのです。

 

The future is wild(Dougal Dixon,2003)では脳と身体が異常に発達したイカが人類滅亡後に地球を支配すると書いてありました(違っていたらすみません)。

 

人類滅亡を待つまでもなく、イカは現代のテクノロジーを駆使して人間との意思疎通を試みはじめています。

 

しかし、イカはまだLINEが文字によるコミュニケーションツールであることをよく理解していないようなのです。

 

イカから届いた

 

ラインに登録しました。このあとどうすればいいですか?」

 

というメッセージを読んで、皆さんはこう思われたことでしょう。

 

「え?連絡をとる以外にやることあるの?」と。

 

人間とイカを分ける基準は言葉を使えるかどうかではありません。

 

二足歩行が人間であり八足歩行がイカです。そしてラインのメッセージやり取り機能を理解しているのが人間でイマイチ理解しかねているのがイカです。

 

人語を操る犬のみならず人語を操るイカからもLINEがくる。これが今のワタクシ現状なのです。

 

 

薄々気づいた方もおられと思いますが(薄々ではないかもしれませんが)、これはワタクシの家族のお話です。

 

黎明期からのスマートフォンユーザーであり、銀行マン(銀行ウーマン)である妹のラインのアイコンは実家で飼っていた「クッキー」という犬なのです。

 

そして、ベテランガラケー使いであり50代も半ばを迎えようとする両親が、つい最近スマートフォンに乗り換えたのです。

 

あろうことか母親は満を持してそのLINEアイコンを「クッキー」にしたのです。そしてメッセージは送れるものの、写真を送る方法がよく分かっていないのです。

 

従って、ワタクシの家族うち女性陣二人のアイコンは「クッキー」、つまり「犬」なのです。

 

これで家族の過半数が「犬」になりました。母は犬、妹も犬です。

 

残された人類はワタクシと父のみ。

 

父は「男は黙ってサッポロビール的」な人物で、大黒柱に相応しいふるまいとして、久しくそのアイコンをデフォルトの「人間」にしておりました。

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ところが、ある日突然父親はイカになっていました。

 

「男は黙ってサッポロビール」に倣い、黙って人間からイカに姿を変えておりました。

 

イカに姿を変えてから

 

ラインに登録しました。このあとどうすればいいですか?」

 

という哲学的ともとれるメッセージをぶちかますその姿勢はまさに大黒柱以外の何物でもないでしょう。

 

従って現在ワタクシの家族構成は、

 

イカ(父)、犬(母)、犬(妹)、ワタクシ

 

であり、1魚介類と2匹と1人という人類史上稀にみるカオス的な状況に陥っております。

 

さらに困ったことがあります。当のワタクシのアイコンはもはや生物ですらないのです。

 

ワタクシのアイコンはこれです。

 

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もはや生物ですらなく、敢えて言うならば「メディア」、言い換えれば「コンテンツ」です。

 

つまり、ワタクシの家族構成は、

 

イカ(父)、犬(母)、犬(妹)、コンテンツ(ワタクシ)

 

という括弧書きがなければ何のことやらさっぱりわからない要素から成り立っているコスモロジーということになります。

 

今、ワタクシには「家族でグループラインを作る」という夢があります。

 

そこには人類を理解を超えた世界が広がることでしょう。

 

イカと犬とコンテンツが会話するウルトラカオティックな世界。

 

人類の進化はここに極まるのです。アーメン。

利他性と拘り

相手のためを思うのならば、相手のパフォーマンスが上がるように行動することが必要だ。

 

「あの人のためを思ってやっているのにわかってくれない」という歯がゆさを感じたことがあると思う(なかったらごめんなさい)。

 

なぜそのようなことが起こるのだろうか。

 

それは「自分の行動によって相手のパフォーマンスが上がるかどうか」という視点が抜け落ちているからである。

 

言い換えると、「手段に拘って目的を忘れている」からとも言える。

 

女性から相談事をもちかけられたときの男性の対応はその一例だと思う。

 

巷でよく耳にする言葉に「女性は共感を求め、男性は解決を求める」というものがある。

 

何かしらの問題を抱えて不調に陥っている状態から回復するに際して、女性には共感が有効であり、男性には解決が有効であるということらしい。

 

それが本当なら(恐らく本当なのだろう)、男性は説教やらアドバイスやらを繰り出すのではなく、適切に(テキトーにじゃないですよ)相槌を打ちながら女性の話を聴くことに専念すればよい。

 

目的は「女性を不調から回復させること」なのだから「傾聴と共感」はその手段である。

 

にもかかわらず、いきおい男性はあれやこれやと助言してしまい最終的に女性から「あなたは何も分かってない(怒)」と言われ、途方に暮れることになる。

 

何故そのような事態に陥るかと言えば、アドバイスという手段が女性の不調からの脱出という目的に合致していないからである。

 

「アドバイス」という手段が女性に対して有効でないならば、それに拘る理由は何もない。

 

しかしこの時、男性は自分の経験上有効であった具体的解決策の提示という「やり方」に囚われてしまっている。

 

利他的に行動したつもりが肝心の他者のためになっていないとき、そこには「自分のやり方」への拘りが潜んでいる。

 

「自分のやり方」への拘りが本来の目的を見失わせるのである。

 

とは言いながらも、相手の出方に対してあれやこれやと自分のやり方を変えればよいのか、そのような態度は一貫性に欠けるのではないかという疑問も生まれてくる。

 

しかし、その疑問は「思考の次数を一つ繰り上げる」ことで解決できる。

 

つまり「拘り」の対象を一段階上げてしまうのである。それは「手段」に拘るのではなく、「目的」に拘るということである。

 

先の例でいえば、男性は「アドバイス」という手段に拘るのではなく、「女性の復調を促す」という目的に拘るということである。

 

そのような心構えをしていれば、手段の選択肢が増え、目的に対して柔軟に対応できるようになる。

 

一貫性というのは目的に対する姿勢で評価されるべきものであって、手段において評価されるものではない。それは利他的な姿勢においても変わらない。

 

相手の心身の活性化という一貫した目的のために、手段に拘泥せずに行動すること。

 

利他的な態度とはそういうものなのではないだろうか。

 

「あなたのためを思って行動します。ただし、私のやり方で。」という言明が利他的とは言い難いことがその何よりの証拠である。

 

 

 

というようなことを女性から大いにモテる男友達に話したところ、「あのね、そうやって理屈を振り回すんじゃなくて、本当に相手の気持ちになって話を聞いてあげることが大事なんだよ」と懇々と諭されました。

 

神よ、我を理屈という拘りから解放したまえ。アーメン。

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